和傘
−竹と和紙の芸術品−
昭和20年代後半くらいまでは、どこの家にも必ず1〜2本は蛇の目傘や番傘がありましたが、今では時代劇でしかみられないぐらい和傘を刺している人を見ることがなくなってきました。
しかし、着物姿にさす傘は、蛇の目傘や番傘でなければまったくさまにならないです。それは手に持っているだけでも粋を感じます。
その岐阜の和傘の歴史は江戸初期、寛永16年に下級武士の手内職として始まりやがて全国一の地場産業に発展しました。その理由は、細身でスマートな骨に適した真竹が木曾三川の流域に豊富で、紙は牧谷(美濃市)周辺に良質の美濃和紙があり、エゴマ油・渋柿・ワラビ糊などの材料も手近に入手出来たためだそうです。
和傘造り
岐阜の加納でつくられている美濃和傘の歴史は、とても古く、250年以上と言われております。和傘の製造の全盛期であった明治、大正、昭和の始めには、叶内区と言われるところのほとんどの世帯が、和傘業に何らかの形で従事していました。生産数も全国一を誇っていましたが、洋傘が普及するにつれ需要が急激に減少し、後継者を札照る余裕もないまま、熟達した多くの職人たちは年老いてこの世を去りました。いかに和傘を次の世代に残すか、それが現代の課題です。
神社・仏閣の祭礼用和傘をはじめ、歌舞伎・舞踊、野点のお茶席、婚礼用の差し掛け傘など、日本の伝統文化には欠かせない和傘を日本文化から消すことは出来ません。
和傘づくりは、徹底して細分化された専門職人による分業が最大の特徴です。
『○○屋』と呼ばれる老職人たちの熟練の技によって和傘は作られています。
和傘職人の老齢化と職人不足により和傘も手に入りにくい品物になってきました。
- 竹屋 真竹を細かく割り、親骨と小骨に削り上げ和傘の骨をつくる。
- 骨染屋 その骨を染める。
- ろくろ屋 チシャという雑木から、頭ろくろ・手元ろくろを二個一組で作る。
- つなぎ屋 親骨と小骨を 一本一本組み立てて糸でつなぐ。
- ろくろを柄に取り付ける工程は繰り込みと言い、昔は専業業者がいたが、いまは『傘問屋』の仕事。
- 張り屋 骨組が完成した傘骨を炭火で暖めて骨の曲がりを直し、 紙貼り台に広げて全体の形を整え、軒紙・中置き・平紙の順で紙を貼っていく。
- 紙屋 和紙に使われる紙の楮 100%の手漉き和紙をすいたり、染めたり、羽二重にしたりする。
- 最後の仕上げをするのが『仕上げ屋』。
傘問屋は仕上げ屋を兼ねており十項目にもわたる手仕事に腕を振るう。
このようにして一本の傘が出来上がるのですが、出来上がりまでに数ヶ月はかかります。
2007年5月18日
午後10時 教育テレビ 番組名『美の壺』で和傘について語られました。
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